Iwamoto Yusuke

ゲストハウスオーナー

京都市にあるゲストハウス「North+Key Kyoto(ノースキー京都)」のオーナー。自身も世界中を旅した経験から、旅人にとって居心地のいい空間を求めて、2014年にゲストハウスを開業。JBL Guesthouse Award 2015-'16で大賞を受賞し、ゲストハウス業界に新風を巻き起こす。

暖かな夜、透明な朝。

ホステル・ノースキー京都

ほすてる・のーすきーきょうと

京都市営地下鉄五条駅から徒歩1分の場所にあるゲストハウス。屋上からは京都タワーも見える好立地。京都駅からも近く、主要な観光地から適度な距離があるため、ビジネスユースや自転車やバスなどを使った京都観光の起点としても便利。オーナーの岩本夫妻の人柄や行き届いたサービスも人気で、国内外を問わず旅行者のファンが多い。

3ホステル・ノースキー京都の誕生

ホステルノースキー京都のシンボルマークを描く岩本夫人

旅人から父親に、そして宿の開業へ…

「もう少し、頑張ってみれば?」

あの時妻がそう言ってくれなかったのなら、ホステルノースキーが生まれることはなかったと思う。

滴るような新緑が美しい、とある日の事。
京都市北部にある私たちの粗末なアパートからは、比叡山の稜線を望む事ができた。初夏の逆光の中で、妻の姿は影絵になっている。ソファーに心持ち浅く腰掛ける妻のお腹は、ほんのりと膨らみ始めていた。

私は旅人から、父になろうとしていた。
そして京都で小さな宿を開業しようとしていた。

妻とはメキシコで出会って、中南米を5ヶ月間ともに旅をした。帰国してからも、軽自動車で日本一週の旅に出た。
目標は曖昧だったけれど、妻と日本を旅行する中で、宿を開業するのならどの土地が良いか、という目線は持っていたように思う。妻と、お腹の中の子供の生活を守りながら、今すぐに宿を開業する事が出来たのなら、それはとても素晴らしい事だと思った。しかし人生が思い通りに進む事は少ない。

宿へと改修するのに適した賃貸物件を探していたのだが、一年と半年以上も物件を見つけられずにいた。日に日に大きくなる妻のお腹を目にしながらも、開業の目処はまったく立たない。私はここらが潮時だと思っていて、もしも妻が望むのであれば、宿の開業を諦めようと思っていた。

しかし、「きっと、なんとかなるよ」と妻は笑うのだ。

ノースキーは二人で開業したというより、私のやりたい事を妻がサポートする形で生まれたものだ。妻は妊娠してからも大津の花屋で働きながら、将来出来るはずの宿をどういった草木で彩るのか、ずっとノートに書き溜め続けていた。

「じゃあ今日も、街を歩いて来るよ」
「良い空き物件が見つかるとよいね」

私はいつものように、鞄に京都市内の地図と赤ペンを入れて、街に出る。

彷徨って知る京都の魅力

物件を探すにあたって、当然不動産屋にも声をかけた、インターネットでも毎日検索した。それでも結果は出ず、自分で町を歩いて探すようになった。手頃な空きビルを見つけると地図上に赤い印をつけていった。テナント募集中の看板がかかっていなくても、不動産登記から家主を探して連絡を取った。

一年と半年の間、ほとんど毎日、京都の町を隅々まで歩き続けた。
気楽な散策とは違い、水の中で息を止めているような、息苦しい日々だった。しかし物件を探し続けた日々は、移住者が京都という街の事を知る日々でもあった。

「さて、今日はどの辺りを歩こうか」

白川通りを下って、銀閣寺道を左に入る。五月晴れの空の下で、風がむせ返るような青葉の匂いを運んで来る。GWを過ぎたので、人影もまばらだ。哲学の道に入って行く。さらさらと流れる細い琵琶湖疎水に、初夏の日差しが降り注いでいる。疎水の山側は自然の緑が美しく、対岸には桜が植えられている。春には桜が華やかに、秋には紅葉が美しい場所だ。6月には蛍が舞っていることもある…。

ずっと、歩いて楽しい街で開業したいと思っていた。一人で散策して、京都より楽しい街を私は知らない。街の中にはささやかな偶然が溢れていて、私はいつも救われる思いでいた。

例えば早春の朝方、息を白くしながら北野天満宮あたりを歩いていると、まだ春は遠いと思っていたのに、小振りな梅の木が、深紅の花をつけていたりして、唐突な春の訪れにはっとしたりする。

南禅寺

例えば 秋の夕暮れ時、小休止した南禅寺の荘厳な山門の下。境内の木々が少し陰ったかと思ったら、秋の空は瞬く間に日暮れていって、西の空が赤く染まり始める。不意に本堂から読経が流れてきて、その光景は身震いするほど美しい。

例えば真夏の昼下がり、下鴨神社界隈で不意に人の流れを見つける。聞けばその日は、下鴨神社で古本祭りが開催されているという。深い森の中の、真っ白な参道の両脇に、京都の中の古本屋が出店をだしている。サンダルをつっかけて歩く人々は皆、蝉時雨に包まれている…。

私は空き物件を探しながら京都の街を彷徨い続けて、この街を徐々に好きになっていった。

私の手にはカメラもペンもない

(左:施工前、右:現在)ホステルノースキー京都の洗面ブース
広々としていて女性宿泊客からも評判が好い

今の家屋と不動産契約を結んだのは、その年の真夏の事だった。
場所は京都駅から一駅だけ北にある五条駅。改札からほど近いのに周辺はとても静かで、広さも家賃も納得のゆくものだった。何より建物の雰囲気を気に入った。築40年以上の古い建物ではあったが、どの部屋にも日が入って明るい雰囲気だった。管理会社の方に案内された屋上からは、京都タワーを完全に臨む事ができて、私はここを宿にする事を決心した。

不動産契約を結んでから、信じられない量の書類を一級建築士さんに作成してもらった。全ての工事が終わり、営業の許可がおりたのが翌年の春だった。

ホステルノースキーを経営するにあたって、商売の仕組みにあまり興味が持てなかった。しかし世の中には、世紀をまたいで読み継がれている文学作品や、ずっと人の心を揺さぶり続ける音楽が存在する理由は理解しているつもりだった。それらが長く人に愛されているのは、きっと、便利であったり、安価だったりしたからではない。誰しもが持つ、原始的な感情に触れる作品だったから、愛され続けて来たのだと思う。

ノースキーも、そうありたい。一人で旅に出た人々の心に触れる宿でありたい。

2年海外を旅して、妻と出会い、一年半京都を彷徨った。物事の核心はいつも近くに存在するのに、辿り着くのはいつだって酷く難しい。私には、一ノ瀬泰造のようにカメラ片手に戦場を駆ける勇気がなかった。またヘミングウェイのようにペンを手にして、世の中の不条理と闘う魂がなかった。

今、私の手にはカメラもペンもない。
けれどもホステルノースキーという宿がある。そんな思いでいた。

Comment from the Curator

岩本さん自身が旅人であるから、旅する人に快適に過ごしてもらいたいという思いがどこよりもつまったゲストハウスなんだろうな~。
先日、京都の町を車で走っていると「ホステル・ノースキー」の前を通りがかりました。
大阪に住む私にはきっと泊まることはないんだな~と思うとなんだか寂しい気分になって旅に出かけたくなりました。

暖かな夜、透明な朝。

1

3月1日公開

旅の理由 − インド篇

JBL Guesthouse Awardで大賞に輝いた京都のゲストハウス「Hostel North+Key Kyoto(ホステル・ノースキー京都)」。かつてご自身も世界中を回ったというオーナーの岩本さんが振り返る旅の記憶。第1回はインド。

2

4月5日公開

旅の理由 – アフリカ篇

岩本さんが振り返る旅の記憶、第2回はアフリカ。アフリカ最高峰のキリマンジャロの山頂から眺めた光景が、当時旅に出る意味を自問していた岩本さんに一筋の光を届けてくれました。

3

5月10日公開

ホステル・ノースキー京都の誕生

2年間の世界の旅から日本に戻った岩本さん。理想の宿のための物件探しで京都の街を1年半かけて彷徨いつつ、結婚、第一子誕生を経て、2014年、ついに「ホステル・ノースキー京都」を開業しました。

4

6月7日公開

ノースキーのありふれた日常

現在は旅人たちを迎え入れて一夜の宿を提供する立場となった岩本さん。かつての刺激的な旅の日々とはまるで異なるありふれた日常こそが、ノース・キー京都を訪れる人たちにとって、束の間の安らぎを感じられる場所を作っています。