Iwamoto Yusuke

ゲストハウスオーナー

京都市にあるゲストハウス「North+Key Kyoto(ノースキー京都)」のオーナー。自身も世界中を旅した経験から、旅人にとって居心地のいい空間を求めて、2014年にゲストハウスを開業。JBL Guesthouse Award 2015-'16で大賞を受賞し、ゲストハウス業界に新風を巻き起こす。

暖かな夜、透明な朝。

Hostel North+Key Kyoto

ほすてるのーすきーきょうと

京都駅から地下鉄でひと駅の五条駅付近は京都観光の入口とも言えるエリア。東本願寺や清水寺など観光名所へのアクセスもよく、近年では飲食店や商業施設なども増え注目されている。ノースキー京都のある下京区鍵屋町は閑静な住宅街で、京都らしい町家づくりの建物も残っている。

1旅の理由 − インド篇

私はゲストハウスのオーナーである以前に、今でも自分のことをひとりの旅人だと思っています。常に旅をする人の気持ちを忘れまいとする職業上の戒めでもありますが、それよりも私自身が10代〜20代にかけて経験した世界を巡る旅が、実はまだ終わっていないのかもしれない、という思いがどこかにあるのでしょう。

Hostel North+Key Kyoto(ホステル・ノースキー京都)は私が旅の道中に思い描いていた「理想の宿」を形にするために、2014年に妻と開業したゲストハウスです。オープンから1年半が経ち、数々の素敵な旅人たちがノースキーで旅の夜を過ごしてくれました。そして、彼ら・彼女らの好奇心に満ち溢れた瞳が、私に旅の記憶を呼び起こさせるのです。

バックパッカーのご多分に漏れず、私の旅もインドを通りました。
長く旅をしていると、良くも悪くも、ふとしたきっかけで次の街に移る決心をすることがあります。インドを旅していた私を突き動かしたのは、安宿で出会ったフランス人の言葉でした。

これは私が2007年にインドを訪れたときの旅行記です。

インド旅行記

まだほの暗い街が、静かに動き始める。
往来で、誰かが深く咳をする。
リキシャーのペダルが微かに動いた。
向かいのチャイ屋に牛乳が届けられる音。
サリー屋のシャッターが開く音…。
遠くシーク教徒の寺院から、朗々と祈りの言葉が響いて来た。
深い眠りから覚めたばかりの私は、一瞬、自分の居場所を見失ってしまう。
編集部注:「リキシャー」三輪の人力車/「サリー」女性が着用する民族衣装

「ここは、どこなのだろう」

夢の中で、日本の友人達と戯れていた私は、目の前に広がる深い暗闇に戸惑う。私は一人だ。
背中に張り付く湿ったマットレス。天井に浮かぶ錆び付いたファン。鼻につくガラムマサラの匂い。そして、動き始める朝の音たち…。私はようやく、自分のいる場所を認識する。

「そうか、俺は今、インドを旅しているんだ」

私はバックパッカーで、ここは一泊500円もしない安宿なのだ。
日本を出国してから、ずいぶんと月日が流れた。ユーラシア大陸の東から来て、インドに辿り着いていた。古い垢のように、こびりついて消えない疲労感がある。私はベッドに寝転んだままで、出窓から群青色の空を見る。中空にぽつんと月が浮かんでいる。

「明日する事は何もない。何の約束もない」

自由とは、そういう日常の事なのだと、信じて疑わずにここまで旅して来た。

バックパッカーの日常

道端のチャイ屋はインドの日常的な光景

長旅に出ているバックパッカーの一日は、割と単調だ。観光に出る日もあるけれど、移動日を除けば、ほとんどの時間をぼんやりと過ごしている。

「今日はどこに行ったの?」
「郵便局に行って、手紙を出して来たよ」
「それはお疲れさま」

そんな会話が、同宿の旅人同士で交わされているのだ。

新しい街に着いた時に、必要としているのは、快適な宿と、安くて美味い飯屋と、日用品がそろう雑貨屋だ。これに景色の良さが加われば完璧なのだが、とりあえずは前記の三つが揃えば、心は落ち着く。

朝、といっても昼前くらいに私は宿を出る。空腹を覚えつつ、とりあえず、行きつけのチャイ屋に腰を下ろす。驚くほど甘いチャイだ。小さなカップに入ったこのチャイを、ゆっくりと30分かけて飲む。
その後は向かいの店で、サモーサー(編集部注:じゃがいもやレンズ豆などで作られたフライ)を2つ買って、町歩きを始める。

スコールの通り抜けた道には、そこかしこに大きな水たまりがある。サンダル履きの街の人々はかまうことなく、水の中をざばざばと歩く。私も同じようにする。

押し寄せる人々、嗅ぎ馴れない香辛料、大きな怒鳴り声や、祈りの響き。街の至る所に異国を感じ心を奪われたのは、もう遠い昔の事。旅はもはや日常になってしまっていた。

フマユーン廊やラールキラーなどの、デリーの名所に今日こそは行ってみようか。メインバザール(編集部注:ニューデリーの旅行者が集まる地区)の土産屋の女主人が、たいそう美人だと噂に聞いたから覗きに行ってもよい。それよりも何よりも、次の街への切符を買わなくてはいけない。しかし、どこへ行こう?とりあえずラッシィー(編集部注:ヨーグルト風の飲みもの)を買って、公園のベンチで手紙を書こうか。近頃、手紙を書こうと思ってポストカードを買っても、一行も書き出せないのはなぜだろう。

とても蒸し暑く、不快な日で、水たまりはこれ以上ないほど濁っているのだけれど、その中にゆっくりと流れる雲が写り込んでいて、私はなぜだか、魚になりたいと思う。魚になって、透明な、きりりと引き締まった水の中をどこまでも泳いで行きたい。出来るならばバックパックも旅人という肩書きも捨てて、とても単純な、一個の流線型になりたい。

しかし現実の私は照りつける異国の太陽の下にいて、汗をかいている。

何かを得る為の旅、何かを失う為の旅

「Hey Japanese!」
「トモダチ!トモダチ!」

往来を歩けば見知らぬ誰かから引っ切りなしに声が飛ぶ。商売人、詐欺師、物乞い、そして、犬、牛、猿。皆生きる事にしがみついている。音と匂いと喧噪にまみれた、いつものインドの路上。

往来には地元の人間に混ざって、様々な人種の旅人がいる。顔見知りのイスラエル人バックパッカーが、ひょいと私に手を挙げて去っていった。彼は兵役を終えて、長期の旅の途中でインドに立ち寄ったそうだ。この旅の中で色々なものを見て、一生打ち込める仕事を探すらしい。

私は違った。何かを得る為の旅と、何かを失う為の旅と、二つに分ける事が出来るのなら、私が必要としていたのは後者だ。私は何かを経験するよりも、自分の中にあるものを失いたいと思っていた。だから旅に出た初めの頃、次々に訪れる街の中で、私の事を知る人が一人もいない事に、ある種の快感を覚えていた。

しかし半年、一年と旅が続くにつれて、街の中に一人でいる事に、慣れていった。慣れはいつしか無気力を生む。遠い異国の安宿で、誰に惜しまれる事もなく、ひっそりと死んで行く…。それこそ失うという事なのか、と思ったりもした。

メインバザールの宿

何やら楽しそうに輪を作る子供たち

私の泊まっていた宿は、メインバザールから一筋入った路地裏にあった、シーク教徒の老夫婦が経営している宿で、一泊500円弱。簡素であるものの個室であった。
経営者以外には一人の掃除夫がいて、彼は部屋を持たず、どんな日も階段の下のソファーで寝ていた。その肌は暗闇に溶け込むように黒かった。

客層は欧米人からアジア人まで様々。長く旅している者が多かった。
共用のリビングもあって、皆お互いの旅に深入りをしない雰囲気はあったが、時々、あたりさわりのない旅の情報などを交換した。あの街のあの宿は泥棒宿だとか、タージマハルに安く入る方法とか、そんな話だ。

その前日は珍しく、フランス人の旅人と少し立ち入った話をした。長く旅するのか、と私に聞くので、そうだと答えると彼はこういった。

「俺は、死ぬまでインドを旅しようと思っているんだ。そうするしかない。帰る場所なんて、ないからな」

年は40代半ばくらい。聞けば彼はアルジェリアからの移民の二世だった。フランスで職を失って、当ても無く世界中を旅し、インドに辿り着いた。インドでの生活費は、あまり大きな声では言えない裏の商売で稼いでいた。驚いたのはその不法滞在の長さで、すでにパスポートを捨て去ってしまっていた。

宿の簡素な部屋。ほとんどベッドだけで埋まってしまう。

「どこまで旅を続けるんだジャパニーズ?」と彼は聞く。私はアジアを抜けた後は、トルコから中東を回り、アフリカ、ヨーロッパと回り、最後は南米大陸を目指している事を告げた。

「それは長い旅だ」

ありがとう、とやや的の外れた答えを返す。

「旅は良い。でも、お前は透明人間になるなよ。俺みたいに」
彼の台詞を、今でも良く覚えている。なぜなら、透明人間 [invisible man] という単語が聞き取れずに、何度も聞き返したから。

「You do not become invisible man」

私を凝視する二つの青い瞳は、全ての感情を削ぎ落としたかのように澄み切って冷たい。
部屋に戻った私はベッドに寝転んで、読書灯を頼りに地図帳を見上げる。
インドの次は、ネパールかパキスタンか…。いずれにしろ、私の旅はまだ半ばにも満たない。いつ、帰るのだろう。いや、もしかすると安住の地を探す旅なのか。

「You do not become invisible man…」ともう一度呟いていみる。

明日、この街を出ようと思った。

暖かな夜、透明な朝。

1

3月1日公開

旅の理由 − インド篇

JBL Guesthouse Awardで大賞に輝いた京都のゲストハウス「Hostel North+Key Kyoto(ホステル・ノースキー京都)」。かつてご自身も世界中を回ったというオーナーの岩本さんが振り返る旅の記憶。第1回はインド。

2

4月5日公開

旅の理由 – アフリカ篇

岩本さんが振り返る旅の記憶、第2回はアフリカ。アフリカ最高峰のキリマンジャロの山頂から眺めた光景が、当時旅に出る意味を自問していた岩本さんに一筋の光を届けてくれました。

3

5月10日公開

ホステル・ノースキー京都の誕生

2年間の世界の旅から日本に戻った岩本さん。理想の宿のための物件探しで京都の街を1年半かけて彷徨いつつ、結婚、第一子誕生を経て、2014年、ついに「ホステル・ノースキー京都」を開業しました。

4

6月7日公開

ノースキーのありふれた日常

現在は旅人たちを迎え入れて一夜の宿を提供する立場となった岩本さん。かつての刺激的な旅の日々とはまるで異なるありふれた日常こそが、ノース・キー京都を訪れる人たちにとって、束の間の安らぎを感じられる場所を作っています。