Iwamoto Yusuke

ゲストハウスオーナー

京都市にあるゲストハウス「North+Key Kyoto(ノースキー京都)」のオーナー。自身も世界中を旅した経験から、旅人にとって居心地のいい空間を求めて、2014年にゲストハウスを開業。JBL Guesthouse Award 2015-'16で大賞を受賞し、ゲストハウス業界に新風を巻き起こす。

暖かな夜、透明な朝。

キリマンジャロ

きりまんじゃろ

タンザニアにあるアフリカ大陸の最高峰。標高は5,895m。山の一部が世界遺産であるキリマンジャロ国立公園として指定されており、山脈に属さない独立峰としては世界で最も高い山である。
周辺のモシ地方で栽培されているコーヒー豆「キリマンジャロ」の名前としても広く知られている。

2旅の理由 – アフリカ篇

前回までのあらすじ

Hostel North+Key Kyotoのオーナー岩本さんが、京都で自らの理想の宿を始めるまでの旅の軌跡。
第1回のインドからさらに遥か西を目指し、アフリカ大陸に辿り着きました。

キリマンジャロの山頂「ウールピーク」に到達したことを祝福するメッセージの前で登山ガイドと記念撮影をする岩本さん

何が起こっても、お前は歩くしかないんだ!

アフリカの最高峰、キリマンジャロの山頂を目指していた。
現在の標高は5,000mほど。
気温は氷点下20度。雲は遥か下方にある。
皮膚を切るような冷たい風が、終止吹き荒れている。
私の唇は冷風で深々と切れていて、唾を飲み込むたびに血の味がする。

「ちょっと、休ませてくれないか」

息苦しくて、しゃがみ込もうとする私の体を、黒人登山ガイドの右腕が強引に引き上げる。

「だめだ。いま座っちまったら、お前の体は冷えちまって、二度と歩けなくなるぞ」
「もう歩けそうもないんだ」
「いいや何が起こっても、お前は歩くしかないんだ!」

ヘッドライトの向こう側に、若い黒人ガイドの顔が浮かぶ。麓から頂上付近までの4日間、彼はずっと私の事を励まし続けてきたのだ。

「下山してから、いくらでも休めばいいさ。歩くんだ。さあ!」

私は屍のように引きずられて、再び歩き始める。
キリマンジャロはとても姿の美しい独立峰で、赤道直下であるものの、その頂には万年氷河を抱いている。頂上のウールピークは5,895m。富士山の3,776mを思うと、かなりの高さだ。
登山の行程は全部で5日間。亜熱帯の森、草原、岩場と、徐々に風景を変えながら登山は続き、山頂付近は動植物が生息不可能な砂漠が広がっている。

最後の夜、頂上に一番近い山小屋は4,710m。
深夜0時に小屋をでて、日の出の山頂を目指すのだ。
私に登山の趣味はない。高い入山料を払って、足の裏に血豆を作って、急な坂道を息苦しさの限界を超えて歩く私は、単なる阿呆なのかとも思う。
しかし、と私は顔を上げる。キリマンジャロの頂に辿り着く事が出来れば、私は自分の旅を少しは肯定出来るような気がしていた。

インドからアフリカへ、旅は続く

タンザニアの風景
駅や線路は物売りの場として活用されている

インドを出て、西アジア、北アフリカと、広くアラブ圏を半年以上旅して来て、東アフリカにあるタンザニアという国に辿り着いていた。やや抑圧されたアラブ圏での滞在が長かった私にとっては、ブラックアフリカの陽気な生活が心地よかった。

バスに乗っても、商店に入っても、陽気なアフリカンビートが流れている。照りつける太陽の下で、この国の人々の心はとてもシンプルだ。動物もいる。ザンジバル島など綺麗なビーチもある。そして、アフリカ最高峰のキリマンジャロがある。

私はキリマンジャロの麓にある街に長く滞在していて、来る日も来る日も、宿のデッキチェアーから遠い山頂を眺めていた。

「何か悩んでいるの?」

振り返るとそこには、宿のママがいた。ママの傍らには、オリビアという名前の、13才の黒人の使用人がいた。

「とくに何もないよ」
「なら、良いんだけれど」

オリビアが闘うように働く理由

タンザニアの宿

小さな中庭があるこの宿は、設備面で充実しているとは言いがたい宿だった。しかしこの小さな宿の中では、ママとオリビアの意識の中にいるという実感があった。この街の中に帰る場所がある。そんな安心感が、全ての旅人達を包んでいたような気がする。

使用人のオリビアは13才の黒人少女で、両親はいない。学校にも通っていない。本当に良く働く子で、いつも闘うように掃除をしているのが印象的だった。

忘れられない会話がある。私の腕を見ながら、唐突に、オリビアがこんな事を言ったのだ。

「あなた達の肌は、白くてうらやましい。私の肌は黒くて汚いから」

はっとして顔を上げると、オリビアは自分の腕を人差し指でなぞりながら、下を向いていた。

「俺の肌は、白ではなくて、黄色だよ」

言いながら、私はオリビアの方に顔を向ける事が出来ず、窓の外を見た。風が吹いて、中庭の木々がざわめくように揺れた。木々の向こうには、頂を白々と染めるキリマンジャロがたたずんでいた。

「みんな沢山お金を出して、何もない山に登って、馬鹿みたい。もしもそんなお金があるのなら、私は学校に行って勉強がしたい」

そう言う彼女の横顔に、毎日闘うように働く理由を見た気がした。

「じゃあ、バックパックを背負って、沢山のお金を浪費して、世界中を旅している奴らの事は、どう思う?」

と聞いた私に、

「大馬鹿!」

といってオリビアは笑った。

そうだ。長期旅行なんて、所詮豊かな生活の上にある、自堕落な遊びなのだ。しかし、と私は思う。バックパッカーだって、それぞれの思いがあるのではないか。

悲しみはにわか雨のように

赤道直下にも関わらず山頂付近には巨大な氷河がある

「もう頂は近いぜ。日本人! 顔を上げろったら、嘘じゃねえさ!」

再び、若い黒人ガイドの声が飛ぶ。

見上げた私の眼球に、昇り始めた朝日の端っこが飛び込んで来て、一瞬視界を失う。その眩いばかりの光の中に、頂上があるのかな、と思う。だったら私もあの光の中へと歩いてみよう。

雪に足を埋めながら歩く一歩一歩が、信じられないほど重い。もっと沢山の空気を肺に送り込みたい。寒さと息苦しさで発狂しそうになる。

私は薄い空気に朦朧としながら、中国のカシュガル(編集部注:中華人民共和国新疆ウィグル自治区の西南部にあるイスラム文化圏の地区)で出会った、ウイグル人の少年の顔を思い出す。元気にしているだろうか?少年は路肩の屋台で、かちかちに冷えたパンを売っていたが、時々酔っぱらいの父親が顔を出してきて、意味もなく頬を打たれていた。少年は、自分もいつか、世界中を旅してみたいと言った。どこの国に行きたい?と聞くと、ここではないどこか、と彼は答えた。

パレスチナでは武装したイスラエル軍の若い兵士に出会った。お前らは、俺らイスラエル人をいつも悪人扱いするからな、と彼は吐き捨てる。パレスチナ人をいじめてばかりのクソヤローだって思っているのだろう?でも俺たちにも家族がいるし、友人がいるし、爆破テロで腕がもげてしまえば血を流して転げ回るんだ。毎日が怖くて仕方がないよ。だから、そんな目で見ないでくれ、日本人。

チュニジアで出会った、アルジェリア人の売春婦達。今も陽気でいたくれたら嬉しい。何度断ってもドアをノックしてくるから、ほとほと困り果てたものだ。彼女の父親は、リビアで商売をしていたのだが、ある日軍部に拘束されて行方不明になったそうな。きっと酷い方法で処刑されたのだと、彼女は笑って話した。

悲しみは、不意に落ちて来るにわか雨のようにありふれていて、いつ誰にでも降って来る。そういったどうしようもない出来事に、ほんの少しでも抵抗できる人間になりたいと思っていた。

ウールピークを照らすもの

「おめでとう!あなたは今、海抜5,895mにあるタンザニア、ウールピークにいます。
ここはアフリカで最も高く、独立峰としては世界でも一番、そして世界最大の火山のひとつです。ようこそ」

「頂上だ!」

誰かの叫び声に顔を上げると、頂のウールピークがすぐそこに見えた。同時に雲の下方から太陽が昇って来て、あたりを照らし始めた。するとあんなにも凍えていた世界が、信じられない程暖かくなって来た。私はピークに腰を下ろして、しばらくの間放心していた。

旅に出たからといって、人は急に変らない。価値観も変わらないし、簡単に強くなれるはずもないと、そう思っている。けれどもこの一瞬は、ほんの1ミリだけ、自分は前に進めたような気がしていた。頂から眺めると、太陽に照らされた氷河が輝いていて、旅に出た事が間違いではなかったと、そう思えた。

暖かな夜、透明な朝。

1

3月1日公開

旅の理由 − インド篇

JBL Guesthouse Awardで大賞に輝いた京都のゲストハウス「Hostel North+Key Kyoto(ホステル・ノースキー京都)」。かつてご自身も世界中を回ったというオーナーの岩本さんが振り返る旅の記憶。第1回はインド。

2

4月5日公開

旅の理由 – アフリカ篇

岩本さんが振り返る旅の記憶、第2回はアフリカ。アフリカ最高峰のキリマンジャロの山頂から眺めた光景が、当時旅に出る意味を自問していた岩本さんに一筋の光を届けてくれました。

3

5月10日公開

ホステル・ノースキー京都の誕生

2年間の世界の旅から日本に戻った岩本さん。理想の宿のための物件探しで京都の街を1年半かけて彷徨いつつ、結婚、第一子誕生を経て、2014年、ついに「ホステル・ノースキー京都」を開業しました。

4

6月7日公開

ノースキーのありふれた日常

現在は旅人たちを迎え入れて一夜の宿を提供する立場となった岩本さん。かつての刺激的な旅の日々とはまるで異なるありふれた日常こそが、ノース・キー京都を訪れる人たちにとって、束の間の安らぎを感じられる場所を作っています。