Ohara Nobue

調理師

大阪市出身。2009年に沖縄県座間味島へ、2013年に長崎県小値賀町斑島へ移住。調理師として小値賀島の給食センターに勤務。

小値賀町斑島のお昼ごはん

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長崎県小値賀町斑島

ながさきけんおじかちょうまだらじま

斑島(まだらじま)は、長崎県北松浦郡小値賀町の離島。本島の小値賀島とは斑大橋でつながっている。島の面積は1500平方キロメートル程、人口は300人に満たず、自然が手付かずのまま残っている。小値賀島の小・中学校は、長崎県で給食制度のない最後の学校として知られていたが、2015年6月に待望の給食制度が始まり、島の直材を使った食育が注目されている。

3斑島のあたらしい家族(前編)

斑島の漁港

斑島への移住を振り返って

私たち夫婦が沖縄県の座間味島(ざまみじま)を離れて斑島への移住を決めたのは2013年のことです。
斑島は旦那さんのお母さんが生まれ育った島であり、現在も祖父母が暮らしていること、そして小値賀町には行政の支援する農業研修制度があったことが、移住の決め手となりました。

でも実は、私はもっともっと座間味島に住んでいたかったのです。
座間味島で子育てをしていくのだとばかり思っていました。ですから、彼が急に予定を早めて移住を持ち出して来た時には戸惑いました。

斑島の美しい海

そのとき彼は私にこう言いました。
「座間味島に住んでいる人が大好きで座間味の海が世界で一番綺麗だけど、それを自分の誇りにはできない」

その言葉を聞いて、私は、彼が小学生時代を過ごした斑島にこそ彼の言う「誇り」があるのだと信じることにしました。そして斑島に移住をするのなら、できるだけ長い時間を彼の祖父母と共にすることが大切なんだと考えました。島で80年以上暮らしてきたお二人が生きておられるうちに生活の知恵を学び、何より生まれてくる子供にひぃじぃちゃん、ひぃばぁちゃんと共に過ごす時間を与えてあげたいと思いました。


島暮らしの魅力

独身のときには「こんなことがしたい!」「こう生きていきたい!」などと人並みに考えていましたが、歳を重ねるとともに、だんだん変化していきました。結婚して家族ができると、家族みんなが幸せに暮らせる為に自分に何がでいるだろうか、と考えるようになったのです。

島暮らしの影響でしょうか、家族の結束力はやはり強くなるように感じます。座間味島のときも同じように感じていました。それは島で暮らす方々みなさんが家族の様な気がするからです。海で囲まれた限られた生活空間で暮らす家族。その狭い環境が、私はむしろそれが好きだったりします。

島では、道を歩いていると出会う人みんなが知り合いで、笑顔で挨拶を交わします。

最近どうしてるの?
あの畑の野菜はどうなった?
何の種を播いたの?
お魚あるけど食べる?

ひとたび立ち話が始まると、なかなか目的地に辿り着けないこともしばしばです。 休日には家族で出かけたりもします。特別な娯楽はありませんから、海を見たり図書館に行ったり、船を眺めて手を振ったり、旦那さんのビニールハウスへ行ったりします。毎日が同じような日々ですが、季節の色の移り変わりを目で見て、肌でその空気を感じていると、実はこの日と同じ日なんて二度とないということに気づきます。そんな移りゆく日々の中で、旦那さんが作ってくれた野菜で私がごはんを作り、家族で美味しいねと食べる食卓は最高の贅沢だと思います。

島のあたらしい家族

長男はこの斑島の8年ぶりの赤ちゃんとして迎え入れられました。島の新しい家族になったのです。どこに行っても珍しがられ、可愛がってもらえました。

彼が生まれて間もない頃、お家にいると知らないおばぁさんが訪ねて来られました。

「ここに赤ちゃんがいると聞きました。見せてもらえないですか?」

びっくりしました。
おばぁさんは赤ちゃんを見て涙で目を潤ませて喜んでおられました。何度も来ようと思ったけど失礼になるのではと思い躊躇されてたそうで、「今日こそは!と決めて来たの」と笑っておられました。

また別の日、スリングに長男を抱いて港を散歩していたら、後ろからまた知らないおばさんに覗き込まれました。

「わぁ!赤ちゃん!!珍しか!!何を大事そうに抱いているのかと思ったよ!」
「持って行かれないようにしっかり抱いておくんだよ」
「落としたら返って来ないからね、大事にするんだよ」
こんなことも言われました。

赤ちゃんの笑顔のちから、
父の言葉

ひぃばぁ(ご主人のお婆さん)と大原さんの長男

息子には年が近いお友達こそいませんが、公園は独り占めできるし、最高に優しいひぃばぁちゃんと島の人たちみんなが友達です。
幸せな子供だと思います。

初節句の時には部落の公民館をお借りしてお祝いを行いました。空には大きな大きな鯉のぼりが泳ぎ、のぼりがはためいていました。30人以上の方々に集まっていただき(人口300人足らずの斑島で、30人と言ったらすごいことなんです!)、お料理もすべて手作りしました。なにより、旦那さんの親戚の方々のご尽力のお陰で、賑やかで盛大なお祝いとなりました。

こちらの風習では節句のお祝いに女の子は桃のお菓子、男の子は鯉のお菓子を用意します。1歳のお誕生日には藁の草履を履かせて大きなお餅を踏ませます。こういう文化の違い、面白いですよね!

赤ちゃん一人が笑うとそこにいる大人全員が笑顔になれます。子供の存在の偉大さと、多くの方々に支えられて、私達夫婦はこの斑島で最初の1年を暮らしてきたのだと、再確認をした日でした。

この日には大阪に暮らす私の両親も参加してくれました。両親にとっては初めての斑島でした。父と母はじぃちゃんの運転する耕耘機の後ろに乗せてもらい島を案内してもらっていました。

父は帰る日に「あなたの暮らしは良くわかりました。いい人に囲まれていますね。あなたはここに根を張って暮らしていきなさい」と私に言いました。
今でも時折思い出す父の言葉です。

たくさんの人たちに支えられて小値賀町斑島で生きていくことを決意した大原さんの移住コラム、最終回の後編は11月17日公開予定です!

Comment from the Curator

環境によって自分の考え方がガラッと変わってしまう瞬間ってスゴク好きです。
いろんなコトに固執せずに、柔軟力があってしなやかに生きてる感じがして。
どうして20代の頃ってそれができなかったんだろう、今から思い返すとあの頑固さが少しかわいく思えてしまいます。
「島暮らし」素敵って憧れるすべての人にいろんな角度から生活そのものを
知るお話しが訊けました。大原さんの心境の変化も感じる部分にジーンときました。
高齢化社会に不安や問題が山積みっと言ってるけど、赤ちゃん一人いるだけでそこに
いる人みんなが笑顔になれるそんなコミュニティがしっかりあれば、老後を想像したときになんか笑顔で過ごせそう!ってイメージができてきませんか?
人のキモチを支えるモノってそういう事なのかもしれないな~って思いました。
大好きな人がいて、自然を感じて時間が過ぎていくのか~、最初の方のコメントで
「島暮らし絶対無理!」と言っていた私ですが、少し気持ちに変化が生じました。笑

 

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小値賀町斑島のお昼ごはん

1

7月15日公開

小値賀町斑島への移住

憧れの島暮らしを実践中の大原さん。辿り着いたのは、長崎県の小値賀町斑島(おじかちょうまだらじま)。人口300人足らずの小さな島で、必要なものは何でも自分たちで「つくる」生活が始まります。

2

10月1日公開

小値賀町に給食がやってきた!

小値賀町に待望の給食がやってきました。一見豊かな食文化に見える島の暮らしですが、実はその「豊か過ぎる」食材ゆえに大きな問題が…。子供たちの給食を通じて、島の食生活のあるべき姿を考えます。ゴーヤの漬物レシピも公開!

3

11月3日公開

斑島のあたらしい家族(前編)

ご主人の生まれ故郷である斑島で暮らす大原さん。それ以前に住んでいた沖縄県の座間味島を離れて斑島を選んだのには大切な理由がありました。大原さん一家を迎え入れてくれた斑島の魅力とともに、移住当時のことを振り返ります。

4

11月17日公開

斑島のあたらしい家族(後編)

斑島が属する五島列島には豊かな自然に育まれた伝統文化がたくさんあります。大原家に代々伝わる手作り味噌や、郷土菓子のかんころ餅など、季節の食材をふんだんに使った食文化を大原さんはひとつひとつしっかりと受け継いでいきます。