Yamaki Satomi

フルーリスト

フランス人のご主人と結婚してスイスのローザンヌに移住。日本にいた頃はフルーリストとして心斎橋のフラワーショップ「Nymphea」を経営。現在はご主人とご子息と3人でレマン湖の見える家に暮らしている。

レマン湖のほとりから

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大阪 心斎橋

おおさか しんさいばし

大阪を代表する繁華街。デパートや高級ブランドショップなどが立ち並び、このエリアに店舗を構えることを夢や目標にする人も多い。梅田を中心とする「キタ」エリアに対して、周辺の難波などを含めて「ミナミ」と呼ばれる。

2人生の転機 – 心斎橋の小さな花屋 Nymphea(ナフェア)

前回までのあらすじ

レマン湖の畔のご自宅で9回目のクリスマスを迎えた山木さん。今でも朝目覚めると自分がスイスに居ることにハッとするそうです。現在の暮らしに辿り着くまでには波乱万丈の経歴がありました。当初の夢だったパティシエの道を断念した経験、そして心斎橋にフラワーショップNymphea(ナフェア)をオープンするまでの経緯を振り返ります。

山木さんの作品:紫色のアジサイのブーケ

パティシエとしての成長、そして事故

山木さんがパティシエ時代から作り続けているチェリーボンボン
洋酒に漬けたさくらんぼにフォンダンをつけ、チョコレートがけして完成

パティシエの世界に足を踏み入れて3年。次の店に移ってすぐに、シェフが退社し、まだ修行中だった私が主力のシェフとして厨房に立つことになりました!必死で本を読み、人に訊きながら試作を繰り返して、とにかく独学で勉強するしかありませんでした。新しいメニューづくりや、季節ごとのイベントなど、次から次へとやるべきことがありました。そのたびに料理の本を買い漁ったり、料理に合う器を探し歩いたり、美術館や図書館、そして電車の中などでも常に新しいアイデアを求めてアンテナを張り巡らせていました。おいしいのはもちろんのこと、お客様に「エッ!」と驚いてほしい、と思っていたからです。休みはほとんどなく、寝ている時間以外はずっと頭の中はそんなことばっかり考えていました。

店を軌道に乗せるために、私は人事やスタッフの教育、接客、忙しいときにはホールの洗い物まで、すべてに携わりました。私は経営者ではなかったけれど、店のことを愛する気持ちは誰にも負けない自信がありました。その成果が実ったのか、60席もあって空席の目立っていたお店が、いつしか階段の下まで行列ができるようにまでなりました。雑誌やテレビの取材も増えましたが、質を落とさないようにコツコツとがんばりました。

そんな充実したパティシエ生活の真っ只中に、そのアクシデントは起こりました。
私はその頃、気分転換のために休日にパラグライダーをやっていて、その日も穏やかな好天の中フライトを楽しんでいたのですが、突然翼がつぶれて失速状態となり1,000mの高さを急降下して山に墜落したのです。わずか数分間の出来事でした。息ができず声も出ない…。あぁ、これで終わりだ、と思いました。落ちていくときは意外と冷静で、部屋が片付いてないなーとか、つまらないことを考えていたのを覚えています。

毎年クリスマスケーキに添えるサンタクロースの顔のメレンゲのお菓子
子どもたちにも大人気!

私はすぐに近くの病院に搬送されました。奇しくも、その日の朝、通りがかりに「こんなところに病院があるんだね」などと話題に上がったまさにその病院でした。胸椎圧迫骨折、右足靭帯損傷、左肩ひび、頸椎損傷…。それでも、本来ならば即死か半身不随になるような大事故だったので、私は幸運にも命拾いしたのです。

その後の入院生活は不自由と苦労の連続でした。私は2ヶ月間ベッドの上で身動きもとれず、退院した後もこれまでのようには日常生活が送れない体になってしまったのです。過酷なリハビリや、思うように身体が動かないストレスで、ノイローゼ気味になってしまい、社会復帰に対する不安も積もるばかりでした。

それでも、もしあの事故に遭わなくても、私は始発・終電・休みなしの生活で疲れきっていて、きっと何か他の病気で倒れていたかもしれません。そう思うと、過労ではなく好きなパラグライダーでこうなったんだから仕方がない、と前向きに考えることができました。「少し休みなさい、そして人間としてもっと色々なことを勉強しなさい」という、神様のメッセージだったのかもしれません。

花との出会い、そして再びゼロからのスタート

山木さんの作品:日本ではまだ珍しかった、緑を取り入れたフランス風アレンジ

自宅でのリハビリ生活中は、たくさんの友だちの励ましと、母親の本当に献身的な介護のおかげで、私は少しづつ快方に向かっていきました。
そんなある日、『Ecole de Fleuristes de Paris(パリにあるフルーリストのスクール)』のカリキュラムが日本で受けられることを雑誌の記事で知り、ビリビリっと電気が走ったような気分になりました。しかも入学の締め切りは今日!ようやく少しなら電車に乗れるようになった頃で、学費もかなり高額でしたが、今の自分にはこれしかない!と思い、後先の事を考えずに入学を決めたのです。

授業はパリの本校から来たフランス人の先生がフランス語で行います。色彩学、植物学、経営学など、本格的なカリキュラムで、体調のこともあり座っているだけで泣きそうだったけれど、当時絶望の淵にあった私にとってはすべてが新鮮な体験となり、精神的にはかなり救われました。
学校では体のことを黙っていたのですが、あるとき私の眼の色を覗き込んだ色彩学の先生(この先の私の人生を大きく変えることになった重要な方です)に「何か骨に異常があったの?」と尋ねられ、ずっと我慢していた心が緩み、クラスメートや先生方に怪我のことを打ち明けました。本来であれば大きな大学病院でも完治が困難だと思われていた私の体は、先生の紹介で超能力を使えるという方に診ていただいたり、腕の立つ整骨院を教えていただいたり、学校に通い始めて1年が経ったころには奇跡的に回復し、生きる希望が見えてきたのです。

心身ともに元気を取り戻し、私はフランスの国家資格であるC.A.P.(編集部注:Certificat d’Aptitude Professionelle, esthetique-cosmetique)に相当する資格を頂きました。それはフルーリストや、料理、エステ関係などの仕事に就くにあたって必要な一番最初の資格でした。

Nymphea(ナフェア)で出会った物語と感動の数々

その後、縁あって心斎橋のビルの裏手の小さなスペースを期間限定で借りることができ、私は大阪の一等地で初めての花屋をオープンすることになりました。学校のフランス人の先生から頂いた名前は「Nymphea(ナフェア)」。オモダカという植物水生多年草の名前です。
その物件を継続して使用できることになってからは、5〜6人の仲間と本格的に店の運営が始まりました。当時はまだフレンチスタイルの花屋はめずらしく、日本で定番だったきゅっとコンパクトなブーケ花だけでなく、グリーンや木の実を使ったアレンジや、黒や紺色の渋いラッピングペーパーを使うなど、Nympheaのスタイルは目新しかったと思います。

畳1枚ほどのドアのない狭い店舗は、夏場は空気がこもって50度以上に、冬場はものすごく寒くなりました。あまりの厳しい環境に本当に辛くてスタッフも減り、最後に残ったのは私ひとりでした。それで、仕入れのために30代後半で不向きな運転免許を取ったり(まぁ恐ろしい…)、配達のときも店番がいないので金庫を持って移動したりと、苦労が絶えません。何しろ余計なスペースがないので、朝に作った店のディスプレイは、閉店時にはパズルのように上手に積み上げないと戸締まりもできませんでした。

Nymphea(ナフェア)のイラスト by ひろやまkyo子

それでも私にとってすべてを自分の思い通りにできたことはラッキーでした。
私は常にブーケをオーダーされるお客さんがどんな人にどんな風にプレゼントするのか、受け取った人がどんなリアクションをするのか、など色々と分析をしながら考えました。
私が以前にパティシエをしていた経験や、学校で特殊な色彩学を学んだことも、Nympheaの特徴のひとつになっていたかもしれません。細部に至るまで繊細に作りこんでいくお菓子づくりの行程は、花のアレンジにも大きなヒントとなりましたし、西洋の色彩学は日本人には無い新鮮な感性をもたらしてくれました。

ウエディングの相談のときなどはドラマの1シーンに出くわしたかのように感動しました。寒い冬にはお客さんが温かいコーヒーを差し入れてくださったり、クリスマスにはお客さんにワインをふるまったり。
ある時は、小さな男の子が好きな女の子にプレゼントするためのブーケを作ったり、車のトランクいっぱいのブーケにエンゲージリングを隠すなんてサプライズの相談もありました。またある時は、小さなワゴンRに3段重ねのウエディングケーキとぎっしりのお花を摘んで京都の式場まで届けたこともありました。

振り返ってみると、Nympheaには語り尽くせないたくさんの物語と感動がありました。そのすべてが今でも私の財産になっています。

しかし、私の人生には転機がつきものです。その後、Nympheaは立ち退きを余儀なくされました。本当に唐突の出来事で、お客さんに十分に告知することもできないまま、Nympheaは心斎橋の街角から姿を消すことになったのです。

お店がなくなってから、私は自宅で細々と花の仕事を請け負っていましたが、ひょんなことからスイスへ行くことになりました。色彩学の先生のお嬢さんがスイスに住んでいて、店を失って悶々としていた私に「ちょっと行ってきたら?」と先生が声をかけてくれたのです。

まさかこのスイス行きが運命の分かれ道になるなんて!

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