Yamaki Satomi

フルーリスト

フランス人のご主人と結婚してスイスのローザンヌに移住。日本にいた頃はフルーリストとして心斎橋のフラワーショップ「Nymphea」を経営。現在はご主人とご子息と3人でレマン湖の見える家に暮らしている。

レマン湖のほとりから

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ローザンヌ

ろーざんぬ

ローザンヌはスイスのヴォー州の基礎自治体(コミューン)。レマン湖の北側に位置する道州の州都で、国際オリンピック委員会(IOC)の本部があることで知られる。バレエや演劇、音楽などの芸術活動も盛んで、フランス、ドイツ、イタリアなど、ヨーロッパの都市を結ぶ街としての役割も果たしている。

1スイスのローザンヌで過ごすクリスマスは

レマン湖 - スイスとフランスにまたがる湖

スイスに暮らす

スイスのローザンヌで過ごすクリスマスは、今年で9回目になります。
まさか10年前にこのスイスという地でクリスマスを自分の新しい家族と迎えるとは思いもしませんでした。

私は今、フランス人の夫と7歳になる息子とレマン湖が見える家で暮らしています。いまだに、朝目がさめると、私スイスにいるんだわ…主人と息子と一緒に暮らしてるんだわ、とハッとすることがあります。

スイスに来る前は仕事ばっかりしていて、気がつけば40歳を超えていました。母にやいやい言われながら、結婚、ましてや出産など、もうないだろうと思っていました。
こちらに住む日本人女性は、例えば留学先でご主人と知り合われたり、何かしらあらかじめ外国と接点があった方が多いのですが、私の場合はヨーロッパは仕事がらみで興味こそあったものの、まさか自分が外国で暮らすことになるなんて想像もしませんでした。どっぷりの大阪人ですから。
しかも外国人と結婚するなんて!

伝統ある文化と豊かな自然の街、ローザンヌ

ローザンヌの街並み。緯度は北海道と同じぐらいで、冬には雪が積もる。

ここローザンヌはレマン湖の北岸に位置し、北東にベルン南西にジュネーブがあります。ここからTGV(編集部注:フランスを中心にヨーロッパ各地を繋ぐ高速鉄道)が出ているのでパリまでは4時間、ほかの電車を使えば例えばイタリアのミラノまでも4時間ぐらいで行ける距離です。

湖の向こう岸はミネラルウォーターで有名なフランスのエビアンで、船で30分で行けます。その船は100年の歴史のある、昔ながらの蒸気で動くもので、文化財保護されています。向こう岸の山の間からはモンブラン(編集部注:フランスとイタリアの国境にあるアルプスの山)が見えます。

車で一時間も走れば国境を越えてフランスのマルシェに行ったりもできます。近くの町にオードリー・ヘップバーンやチャーリー・チャップリンのお墓もあります。冬は車で20分ぐらい走ればひろーいところでスキーやそり遊びもできます。すっごいパウダースノーです。

ローザンヌはどんな街?

ゴシック建築のノートルダム大聖堂。ここも階段や坂が多い。

ローザンヌには国際オリンピック委員会の本部が置かれており、若手バレリーナの登竜門として知られるローザンヌ国際バレエコンクールが開催されていることでも有名です。

ちょっと車でいくとジャズフェスティバルで有名なモントルーとの間のラヴォーという村に、世界遺産のワイン畑が広がっています。9月にはワインの収穫祭で湖沿いで子供たちのパレードがあったりします。

この町は、緑がたくさんで子供たちにとってはいい環境だと思います。山間の土地柄か坂道が多く、どこへ行っても登ったり降りたり。街の中心は店が立ち並び、水曜と土曜日の朝にはマルシェがあります。
幸いに日本食材店があり助かっています。一応スイスの中では都会の方だと思います。というのも、私が大阪を離れるとき友達の多くはスイス=ハイジで、店もない山奥でわらに囲まれて動物と生きていくのか…というイメージだったらしく、「買い物とかどうするの?」とよく聞かれていました(笑)。
いやいや、ローザンヌ緑のいっぱいある都会ですよ。

スイスの暮らしは休暇がいっぱい

レマン湖に浮かぶヨット

日本で働いていた頃は始発の終電休みもなかなかとれないという生活で、大阪のど真ん中で色んな音のする中、常に動き回っていました。
こちらに来て街の中心から近いけれどちょっと入った静かな所で暮らしています。鳥の鳴き声しか聞こえません。初めはこのギャップになかなかなれませんでした。いきなり無人島に来てしまったみたいに…。

土日は普通のお仕事は休みで、日曜日にはお店もすべてしまっています。2月にスキー休み、春にはパーク休み(編集部注:プーレ・ド・パーク=復活祭やイースターとも呼ばれる。キリストの復活を祝うお祭)が2週間、夏は7月から8月末まで、10月には秋休みが2週間、さらにノエルから年始まで2週間と休みがいっぱいです。
冬はスキーやアイススケート、夏は山登り、自転車、ヨット、ウインドサーフィン等の水辺の遊び。特にレマン湖ではいっぱいポートにたくさんヨットが停泊していて、日常的にヨットを楽しんでる人が多いです。

ただ、こちらでは朝8時半までに子どもを学校に送って行き、11時50分に迎えに行って一緒にご飯を食べて、また14時に送っていき15時40分に迎えにいくという慌ただしさです。その送り迎えと家事で一日はあっという間に過ぎていきます。

本場ヨーロッパのクリスマスは意外とシンプル

クリスマスの時期のローザンヌの街角。日本のようにカラフルなイルミネーションはありません。

意外なことに、スイスのクリスマスはシンプルで街の電飾もスッキリ白っぽく1色だったり、クリスマスケーキ予約承ります…という宣伝もなく、お花屋さんもケーキ屋さんも静かです。街中では焼き栗やvinchaud(ヴァンショーフルーツやエピスの入った暖かいワイン)が飲めたりするぐらいかな。お店のショーウインドウのディスプレイはクリスマスっぽいデコレーションとなりますが、のんびりしているのでクリスマスが終わっても新年を迎えてもひと月ほどそのままだったりします。

クリスマスは皆親戚も含め家族で過ごすのが大半で、一か月くらい前から多くの家で生のもみの木を部屋の中に置いて飾り付けします。我が家でも2メートルぐらいのもみの木を飾ります。少し前まではその枝に本物のろうそくを飾り、当日実際に火をつける家もありました。クリスマス前に訪れた人が、そのもみの木の下にクリスマスプレゼントを置いて帰るのです。それをクリスマスの朝に開けます(こっちの子供たちはプレゼントをもらいすぎです!)。

12月に近付くと子供たちはサンタさんに欲しいプレゼントのお願いのお手紙を書いてもみの木の下に置いておきます。イヴの夜サンタさんがもし来てくれたらお礼に持って帰ってもらうために、クッキーを入れてそれも一緒に置いておきます。我が家にも去年サンタさんが来てくれましたが、プレゼントが置かれていたものの、息子が置いておいたクッキーを忘れて帰ったようです…。息子はとても残念がっていました。

大人は大体アペリティフ(編集部注:食前酒を飲みながら会話を楽しむ習慣)で生ガキとシャンパンで乾杯です。近頃はクリスマスにお寿司を食べるのが大人気で、クリスマスシーズンは予約でいっぱいになり、お寿司を作っている人は大変そうです。

12月20日前後から1月3日ぐらいまではバカンスとなり、多くの人が旅行に出かけてしまいます。年末年始のローザンヌからはごっそり人がいなくなり、シーンとしています。お正月があまりに静かなのでこちらに住む日本人は淋しさを感じています。

日本にいた頃は…

日本にいた頃の私は、学校を卒業して普通にOLを経験し、当時は21歳ごろに結婚するのが普通でしたから、親の敷いたレールにそって平凡な日々を送っておりました。お見合いでもして21〜22歳で結婚するものだと思っていたのですが…、19歳で父親を亡くしてしばらくはなんだかフワフワしていました…。

そして自分をちゃんとするために募集を見てケーキ屋さんに入社。まさかパティシエになるなんて思いもよりませんでしたが、たまたま料理の世界にいる兄の部屋にあったきれいな洋書の料理本を何度も見ていたせいか、面接のときに少し興味があって「厨房、見られますか?」と聞いた一言がきっかけとなり、思いがけず厨房に入ることになったのです。

パティシエからフルーリストへ
スイスにたどり着くまでの30代〜40代

44歳ではじめての出産。人生何がおこるかわかりません。

当時は菓子・料理どちらも厨房の世界に女はおらず、まずは雑用を2~3年しながら「見て習え」という修行の世界でした。しかも、皆10代の頃からその道を目指すのが常識で、21歳の私はすでに遅いし、どうなるのか不安でいっぱいでした。しかしもともと持って生まれた我慢強くコツコツやり遂げる性格で、洗い物ばかりの見習いでもしっかりと頑張りました。何はともあれ、好きだったのでしょうね。

そんな修業の日々を乗り越えながら、作ることの楽しみや食に関すること、美しいことへの興味、そして人に喜んでもらえることの幸せを味わって自分を知ることになります。

その後店を移り、当時はまだ数少ない女性シェフと言われ、たくさんのお客さんが来てくださるようになったころ、突然のアクシデントで怪我をして入院…。パティシエの仕事を続けることができなくなってしまったのです。その後リハビリ生活に入りいろんな道のりを経て、30代の半ばにはヨーロッパスタイルのフルーリストへ転身。その後また転機が訪れ、40代でスイスに移住して44歳で初の出産を体験しました。人生は本当に何がおこるかわかりません。

どんな災難も乗り越えていく力、自分が生かされていることに対する感謝、そして人との縁を大切にすること。私は宗教家ではありませんが、たくさんのことを身をもって学んできました。そしてどんなことがあっても希望を持ち続けることで、夢に近付くことができるんだなということも感じます。山をのぼりきったあとにこそ、何かがみえてくるような気がするのです。

そんな私が経験してきたことをさかのぼって、次回はNymphea(ナフェア)という大阪の心斎橋にあった小さな花屋にたどり着くまでのお話をさせていただきます。

Comment from the Curator

常に意識する年代は一世代上の方々のように思います。20代の頃は30代の人、30代の頃は40代の人。20代の時に40代はあまりリアリティがなくて考えれない感じでした。でも、10年ってアッと言う間に過ぎていくものなんだと40代になってからは強く思います。振り返るとビックリするくらいのスピードなんですよ。
でも、自分の事で言えば10年後って大体こんな感じなんだろうな~っという予想はできるところを無難にやってきた気もするのですが、山木さんは常に「えっ!」って驚くような状況に立ち向い続けられたのではないかという気がしてお話を読ませて頂きました。
思い切ったことをして、ガラッと違う人生を送ることには憧れてしまうのですが、想像も付かないような、もの凄いエネルギーもいるんでしょうね。

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