Inoue Kotori

イラストレーター・絵本作家

フリーのイラストレーターとして、各メディアでイラストを手がける。絵本作品に、『わたしドーナツこ』(ひさかたチャイルド)、『ちいさなぬま』(講談社)、『かきたいな かきたいな』(アリス館)、『まちの ひろばの どうぶつたち』(あかね書房)、『てがみが ほしい みつあみちゃん』(チャイルド本社)、『やまと うみの ゼリー』(小学館)がある。

方向音痴は散歩する

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6ふたつの卵は孵るのか?

ひとつ目の卵は順調

2011年の春頃、私はふたつの“卵”を孵すべく、日々慌ただしく過ごしていた。

ある失敗を機に、「目標を持つのはもうやめよう。これからは、目的地のない散歩をするようにやっていこう」と決めた方向音痴の私は、いつの間にかイラストレーターの仕事をするようになり、幸運にも初めての絵本を出版し、その絵本がきっかけで出会った新しいふたつの出会いから、大切なふたつの卵を頂いたのであった。

ひとつ目の卵は、隔週発売の料理雑誌での、絵本風レシピの連載の仕事だ。こちらはメインのキャラクターも決まり、名前もついて、順調に育っていった。連載のタイトルは、『おいしい絵本 もぐもぐさん』。食いしん坊で食べることが大好きなもぐもぐさんを中心に、1枚の絵と短いお話、それにちなんだ料理の写真とイラストのレシピがつく。
月に1度程度のペースで、数回分の撮影と打ち合わせを兼ねて、編集さんとカメラマンさんと一緒に、料理家さんのお宅にお邪魔した。そこで私は、調理手順のカットを描くために、実際に調理をするところを見せてもらい、どんなカットにするか相談したり、簡単なスケッチを描いて確認したり、必要があれば写真を撮らせてもらったりした。出来上がった料理を、カメラマンさんが撮影して、それが済んだら、試食をしながら次回の打ち合わせをする。それが、何とも楽しい時間だった。どんな料理にするのか、その料理に合うのはどんなお話なのか?あれこれおしゃべりしながら、みんなで案を出し合った。自分ひとりで考えるのとはまた違った楽しさがあったし、何より料理家さんが作ってくれる料理がとても美味しかったのだ。

隔週という連載のペースも、料理家さんやカメラマンさんとの共同作業も、私にとっては初めてで、大きなものだった。連載初期には編集のWさんが用意してくれていた文章も、途中から私にバトンタッチして頂いたので、連載と、その他のイラストの仕事を合わせると、それだけで充分時間が過ぎていった。だから、もうひとつの卵がなかなか孵らなくても、あまり気にしていなかった。というより、単に落ち込んだり悩んだりするような余裕がなかったのだ。

ふたつ目の卵は不調

ふたつ目の卵は、創作絵本の仕事だ。最初の打ち合わせの時に、なんとなく頭の中にあった物語の欠片“さびしがりやの沼の話”を絵本の形にしてみることになっていた。数ヶ月かかってラフを作り、編集のOさんに見て頂き、気になるところを指摘してもらって、修正をした。その修正したラフを、企画に出してもらったが、通らなかった。少し大人っぽい、という指摘だった。

企画には通らなかったけれど、Oさんは「もう少し直してみましょう」と言ってくれていたし、私自身、すんなり通るとは思っていなかったので、落ち込んだりはしなかった。(くり返しになるけれど、単に落ち込む余裕がなかった、というのもある。)再び修正したものをOさんに見て頂き、再び企画に出してもらった。それでも、また通らなかった。そんなことが、何度か続いた。

ようやく「ちょっとまずいんじゃないか?」と、思い始めた。連載の開始からしばらくが経ち、ようやく慣れた頃だった。いよいよ「完全にまずいな」と、はっきりと思った。連載の開始から1年が経ち、最終回を迎えた頃だった。要するに、時間の余裕が出来て、悩む暇が出来たのである。その頃には、悩んだところでどこをどう直したらいいのか、さっぱり分からなくなっていた。時間はあっても、手も足も出なかった。そんな状態が、しばらく続いた。

Oさんは、宙ぶらりんになった“さびしがりやの沼の話”を気にかけて時々連絡を下さったり、わざわざ会って話をしてくれたりした。忙しい人なのに、本当に申し訳なかった。私は、大人っぽいという指摘があった沼の話は1度保留にして、子供向けを意識した新しいお話を書いてみたいと相談した。Oさんは、「私は沼の話が好きだし、なくなってしまうのは寂しいけれど、井上さんの思うようにやってみて下さい」と言ってくれた。そんな風に言ってもらえることがありがたくて、また申し訳なかった。新しく書いた、子供向けを意識したお話は、Oさんの了承が得られなかった。私は完全に、道に迷っていた。

どん底、再び

どん底だった。「あぁ、どん底だ」と思った。私はその感覚を知っていた。7年前と同じだった。
違うことといえば、私がもう決して若者といえる歳ではないことだった。私はもう、「ドンゾコドン!ドンゾコドン!」などと、どん底ながらもふざけていられるような、未来ある若者ではなかった。どん底な上に、どん詰まりだった。

「もうやめようかな?」と思った。「やめたらどうしようかな?」と、考えてみたけれど、何も浮かばなかったし、ただただ悲しくなった。周りを見渡すと、自分がどこにいるのか分からなかった。それほど遠くに来たはずはないのに、知らない場所に紛れ込んでしまったような気がした。自分の好きな、見慣れた景色とそれほど違うはずはないのに、何かが違っていて、でも何が違うのか分からなくて、その分からなさがさらに不安を煽るような、お腹の底から寒気が湧いてくるような、ぞっとする感覚だった。その見慣れない景色に、「お前なんか知らない」と、言われているようだった。

私は、7年前に決めたことを思い出した。
「来た道だけは忘れずに。迷ったら、無理せずいったん引き返そう」

引き返そうと決めたものの、「来た道だけは忘れずに」なんて忘れていたし、「無理せずいったん」なんていう段階は、とっくに過ぎていた。方向音痴が迷ったら、そう簡単には引き返せない。知らない場所を、やたらめったらぐるぐると歩いた。

歩けば歩くほど、見知った場所から遠のいていきそうで、泣きたくなった。泣いて助けてもらえるのは子供だけだ。いい大人がベソをかいて歩いていたら、ただの危ない人ではないか。「あぁいやだ、私だったら絶対に近付かない!」そう思うと、さらに泣きたくなった。涙がこぼれないように、まばたきをしないで歩くように努めた。「目がキラキラして、はたから見たら、案外いい感じかもしれないぞ!」と、自分を騙くらかそうとしてみたが、無駄だった。たまった涙で視界がぼやけて、ますますどこにいるのか分からなくなった。やたらめったら歩いたせいで、足の裏も痛かった。もう一歩も歩きたくないと思った時、ぼやけた視界に、見覚えのある道標が飛び込んできた。

“大人が読んでも面白いと思えるような、子供の本”
それは、いつかのU編集長の言葉だった。

ふたつ目の卵から『ちいさなぬま』が孵った

そうか。私はいつの間にか、目的を持ってしまっていたのだ、と気付いた。いつの間にか、出版することが目的になっていたのだ。だからダメなのだ。

ふと見渡すと、見慣れた景色があった。やっと、自分の散歩道に戻ることが出来たのだ。この道標があれば、いつだって家に帰れる。
「もう1度かいてみよう」と思った。今の自分が面白いと思えて、子供の頃の自分も面白いと思えるような本。“さびしがりやの沼の話”は、そういうお話に出来るはずだ。お腹の底からそう思った。

かき直した“ぬま”のお話を、Oさんに見て頂いた。Oさんは、「いい原稿をもらえて嬉しいです」と言ってくれた。その時の声と表情は、「うん!これは面白い!!」と言った時の、Uさんのそれと同じ種類のものだった。Oさんが、本当にそう思ってくれているのが分かった。だから、これで企画が通らなくても、自分は満足だと思った。

数日後、Oさんから、企画が通ったとの連絡が入った。“さびしがりやの沼の話”は、私の2作目の絵本『ちいさなぬま』として、出版されることとなった。嬉しかった。でもそれは、1作目の時のような、キラキラとした嬉しさではなくて、思わずその場に寝転びたくなるような、そういう種類の嬉しさだった。

方向音痴は散歩する

3冊目の絵本を出した頃から、「絵本もかいたりしてます」と、ドキドキしながら言うようになった。5冊目の絵本を出した頃から、おそるおそる「絵本作家もやってます」と名乗るようになった。でも、続けていける保証はないし、自分なんかが名乗ってよいものかと考えると、ドキドキして仕方がないので、名刺の肩書きには入れていない。もしも10冊の絵本を出すことが出来たら、その時は“イラストレーター・絵本作家”と入れようかな?と思っている。数の問題なのかというと、そんな単純な問題ではない気もするけれど、考えたところで正解はないので、「まぁいいか」と、開き直ってぼんやりしている。ドキドキしながらぼんやりしている。

10冊の絵本を出すことは、目的でも目標でもない。ひたすらにやっていった結果、いつかそうなったらいいな、というただの願望だ。その願望は、私のお臍の奥の方で、これからの散歩道を決める磁石のような役割を果たすだろう。私は無意識に、その磁石に動かされていくだろう。その磁石が狂わない限り、きっと道に迷うことはない。磁石が狂うのは、下手に目的なんかを持った時なのだ。

方向音痴な私は、これからも目的地を決めたりはしない。決めてもろくなことにならないから。ただ、お臍の奥の磁石に動かされて、ひたすらに散歩を続けるだけだ。そしてもしも願いが叶ったら、「やっぱり私は運がよい!」と、少しヘラヘラしたりして、やっぱり散歩を続けるだろう。


井上コトリさん『わたしドーナツこ』原画展開催中!
2016年11月12日(土)- 20日(日) 大阪市福島区8HATIにて

現在、大阪市福島区の8HATIにて井上コトリさんの原画展を開催しています。KAMAKULANIのコラムですっかりお馴染みになった『わたしドーナツこ』の貴重な原画をご覧いただけます。コトリさんの絵本ができるまでの秘話は既に皆さんもご存知のとおりですが、実物を見ればきっと感動もひとしおです!

会場では井上コトリさんの絵本を全作品取り揃えています。また、オリジナルグッズや、ご購入特典もご用意しました(数に限りがあります)。予約不要ですので、ぜひお気軽にお立ち寄りください。

会期:2016年11月12日(土)- 20日(日)
時間:11:00 – 18:00(土・日は10:00 – 18:00)
お休み:水曜/木曜/祝日

井上コトリさん在店予定(サイン会開催):
11月19日(土)14:00 – 17:00
11月20日(日)12:00 – 14:00

8HATIの場所:
〒553-0003 大阪市福島区福島8-17-14
JR環状線「福島駅」より徒歩5分

お問い合わせ:
tel 06-6452-0888(8HATI)
http://www.fukuda-lld.jp/8hati/

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関連イベント
「ドーナツストラップづくり」ワークショップ
谷町六丁目のcarbonにて開催!参加者募集中です!

11月23日(水・祝)要予約
1回目| 10:00 – 11:30
2回目| 13:00 – 14:30
3回目| 16:30 – 18:00

参加費:1,800円(材料費込)
講師:フエルト作家 ヒロタリョウコさん

carbonの場所:
〒542-0012 大阪市中央区谷町6-6-11

お問い合わせ:
tel 06-6764-8260(carbon)
http://www.carbon1999.jp/

carbonでも井上コトリさんの絵本を販売しています!限定でサイン本も!

今回紹介した井上コトリさんの絵本など

作=井上コトリ『ちいさなぬま』講談社

ちいさなぬま
講談社 2013年

もう一度かいてみよう…どん底に迷い込んでしまった井上コトリさんがそう決意してかき上げた意欲作。世にも珍しい「沼」が主人公の絵本。

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作=井上コトリ『わたしドーナツこ』ひさかたチャイルド

わたしドーナツこ(デビュー作)
ひさかたチャイルド 2011年

じぶんのなまえ、すき?きらい?おかしななまえからはじまるおかしなおはなし。編集長Uさんとの出会いから生まれた記念すべき絵本デビュー作

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作=井上コトリ『やまとうみのゼリー』小学館

やまとうみのゼリー(最新作)
小学館 2016年

山で暮らすタコのタコヤマさんは、山の上で、寒天ゼリーの店を営んでいます。そんなタコヤマさんの、穏やかで幸せな、ある1日のお話です。

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三嶋さつき ピアノポスター by carbon 限定販売

方向音痴は散歩する

1

6月20日公開

私が絵本作家になるまで

「目標を持つのはもうやめよう」。目的地のない散歩に出ることをぼんやりと決意した井上コトリさん。方向音痴だからこそできるそんな気まぐれな散歩が、とても素敵な場所にコトリさんを導いてくれました。

2

7月19日公開

初めての絵本とその前の絵本

出版社の編集長からのアドバイスをきっかけに絵本をかいてみることにした井上コトリさん。記念すべき初めての絵本『わたしドーナツこ』が生まれるまでには、絵本作家になるための大切なことに気づかせてくれた「その前の」絵本の存在がありました。2冊の絵本の誕生秘話。

3

8月23日公開

わたしドーナツ+こ

『わたしドーナツ』から『わたしドーナツこ』へと名前を変えた初めての絵本。タイトルから装丁まで、出版社やデザイナーの方々と一緒に試行錯誤を繰り返しながらだんだん「なつこらしい」本に仕上がっていきました。それは井上コトリさんにとって魔法のような体験となりました。

4

9月20日公開

わたしドーナツこ

いよいよ出版された『わたしドーナツこ』。コトリさんの手元を離れて、読者や周りの人たちから好意的な反響が寄せられました。コトリさん自身も、自らの人生と『わたしドーナツこ』を照らし合わせて、あらためてこの絵本の意味を考えます。

5

10月18日公開

ふたつの卵

絵本作家としてのデビューを果たした井上コトリさん。そこですべての運の貯金を使い果たしたかのように思えたけど、すぐに新しいふたつの出会いがやってきました。料理雑誌の挿絵の仕事と、絵本2作目の話。ふたつの卵が育まれていたのです。

6

11月15日公開

ふたつの卵は孵るのか?

料理雑誌のイラストと新しい絵本。ふたつの卵を抱えた井上コトリさん。2作目の絵本の企画がなかなか通らず、ついに再び「どん底」に。そこで聞こえてきたのは、いつかの自分の言葉とお世話になったU編集長の言葉。その声を頼りに『ちいさなぬま』が完成しました。