Hina Takako

シンガーソングライター

日本海にほど近い、自然豊かな土地の寺に生まれ、広々とした川縁や本堂でも歌い込み、歌の世界へと惹かれていった。独特で力強い歌声、シンプルながら情景的な歌詞は世代を越えて響き、寺院コンサートや伝統文化との共演など独自の活動を展開。唱歌をアレンジし歌い継ぐ活動、合唱曲の提供なども手掛けている。

しあわせの花を探して

2言えなかった「ただいま」

福井に戻ってきて3年目になる。最近になってちらほら、「え?いま福井に住んでるの?」と聞かれことが多くて、なぜだろうと考えてみれば、福井に拠点を移してから、ブログやメルマガでさらりと言っただけで、ちゃんとした形で言ってなかったことに気がついた。

私は、詞は書くけれど、長文は苦手。自分のことを語るのは、文面でも対面でもとても下手。だからこそ音楽の表現力を借りて生きてきたとも言える。

そう開き直って、忘れていたかのようにしていた私に、ふとした出会いから依頼されたこのKAMAKULANIへの寄稿。たぶん、以前の私ならオーサー(執筆者)なんてお断りしていたと思う。でも、これは私に与えられたタイミングなのかも?と思った。日々流れるブログやSNSでは伝えられなかった思い出の隠し部屋。誰に、どう伝わるかわからないけれど、言えなかった「ただいま」を、今書くべきなのかなと、そう思った。

シンガーソングライターを目指すまで

写真:川島一郎

生まれは福井県坂井市の三国。断崖絶壁で有名な東尋坊のある町だが、賑やかな漁師町とは違う、町外れの畑や田んぼ広がる地域に育った。実家は15代続くお寺。6つ上の姉の影響で、物心ついた頃からピアノを始める。ピアノは好きだけど、練習は大嫌い。レッスンも泣いて嫌がったこと多々。でも、耳コピは大好きで、弾けるまで弾いていた。

幼馴染の一人が大の宝塚好きで、オーディション、ドラマ、舞台ごっこなど、面白い遊びをしていた。その場で作った歌じゃなきゃダメとか、私が歌うメロディーをピアノで弾いてとか、子どもにしてはハードルの高い要望が多かったが、それが私にとって初めての作詩作曲体験だったのかもしれない。

中学生では合唱部に入部。部長を務めたけれど、何一つ良い結果は残せなかった。でも何より、歌うことの楽しさで私の中学生活は満たされた。家に帰ってもビジュアル系から洋楽まで部屋で一人熱唱していた。高校生になっても続けていたピアノ。次第にクラシック曲の美しさに魅了されていく。その頃から、「ずっと音楽の中で生きていたい」と思うようになって、音大進学を決めた。

弾き語りとの出会い

写真:川島一郎

高校一年生のとき、学校の先生が招待してくれたライブで、始めての弾き語りというものを見た。小谷美紗子というシンガーソングライターのピアノと歌、一人で作り上げる世界観の強さに衝撃を受けた。そこからピアノの練習の合間に、弾き語りをしながら作詞作曲をするようになっていった。誰に聞かせることもなく、ただ家で一人、歌うことが楽しかった。

そして、音大受験迫る3年生のとき、楽譜を探していた楽器屋さんで大手音楽会社主催のライブ大会に誘われた。作詞作曲をしているなんて誰にも言っていなかったのに、なぜ声をかけられたのか今でもわからないが、これが、私が「ヒナタカコ」になる始まりだった。店員さんからもらった応募チラシに、どうしても本名で書くことは恥ずかしくて、ニックネームの「ヒナ」と自分の名前を合わせて「Hinatakako」と書いた。

小さなライブハウスで知り合いもいない場所で、自分の歌を歌う。その一瞬が終われば私のトライは終了だったが、いつの間にか勝ち上がり、全国大会へ行くことになってしまった。親にも突然の報告でなかなか許してもらえなかったが、東京での全国大会で2位の賞をもらって帰ってきた。音大の受験日5日前のことだった。

(実は、当時この曲でインディーズデビューをしている。当時17歳。声も曲も、顔から火が出そうなくらい恥ずかしいけれど、配信として今現在も発売されている驚き。本当はプロモーションビデオもあるのだけれど、堂々公開できるようになるにはまだしばらく時間がかかりそう)

Hinatakako デビュー曲「行かないで」をApple Musicで聴く

クラシックの世界へ

ピアノに浸りたい。その意思は変わらず音楽大学へ進学。高校では一番上手くても、大学に入ればみんなが上手い。自分のレベルでは演奏家にはなれないことを痛感した。自信を失い、ピアノが嫌になったこともあった。レッスンや実技試験に追われる日々。練習も舞台もいつも一人の戦いだけど、それを支えてくれる最高の仲間たちが出来た。卒業演奏(音大は論文とかでなく演奏一発勝負)では、後にも先にもない人生最大の緊張感を味わえて、素晴らしい経験をさせてもらった。それを許してくれた親には本当に感謝している。

決意した出来事

写真:川島一郎

音大生活最後の年に、教育実習があった。訪れたのは母校の高校。初めて行う授業、年頃の女子高生たちは、ろくに話も聞いてくれなかった。自分の高校生のころを振り返りつつ、私が初めて書いた曲を自己紹介として歌った(さきほど紹介したリリース曲)。好きだった先輩を思って書いた恋愛ソングで、内容はどう響いたかわからないが、その後、生徒たちと驚くほど打ち解けた。「こうやって自分の曲を歌うことで、もっといろんな人と出会っていけるかもしれない…」。そんなキラキラした可能性に、私はプロを目指すことを決意した。

本当はずっと

プロを目指そうという確信的なきっかけになったのは教育実習。だけど、本当はずっと「歌を歌って生きる」という夢を抱き続けていたんだと思う。ずっとずっと、誰にも言えずに、こつこつ一人でその時を待っていた。そして小さくも強いきっかけに背中を押されて、私は歩き出したのだと。

そして、上京してからも、背中を教えてもらえる出来事に、私は出会っていった。

PICK UP SONG

このコラムのキュレーターDEKIさんと知り合ったのは実はこの曲がきっかけ。
人生は旅。人はみな、自由と孤独を抱え、様々な出会い別れからの船出を繰り返していく。
人はみな一人。だからこそ、心で支え合える人が本当の仲間になる。
私が音楽で出会ってきた、様々な仲間たちに、エールを込めた一曲です。

ヒナタカコ

しあわせの花を探して

1

6月27日公開

プロローグ:三国の歌姫を訪ねて

7月から「into Art」での連載が始まるシンガーソングライターのヒナタカコさんをkAMAKULANI編集部が訪ねました。場所は福井県、日本海に臨む三国の地。自然あふれる三国の町で生まれたヒナさんは、東京での活動を経て今再び、故郷に戻りました。連載第1回はプロローグとしてキュレーターのデキがヒナさんと三国の魅力をお伝えします。

2

7月18日公開

言えなかった「ただいま」

福井に戻って3年。音楽で想いを伝えることに専念してきたシンガーソングライターのヒナタカコさんが、ふとしたきっかけでKAMAKULANIで筆を執ることになったのは、言えなかった「ただいま」を言うためなのかもしれない。これまでの音楽活動を振り返りつつ、ヒナさんの現在を、そしてこれからの音楽を知るためのメッセージ。

3

8月22日公開

上京、そして出会い

東京で音楽活動を始めたヒナタカコさん。初めてのライブは観客2人。レコード会社との契約がないまま手探りで活動する中、後にスタッフとしてヒナさんの活動を支えることになる同郷の音楽関係者と出会う。「今はまだ帰れない」その言葉を噛み締めながら、自ら立ち上げたレーベルからプロとしての活動が始まりました。

4

9月19日公開

変わるもの、変えられないもの

「生まれはな、君そのものなんや」。ラジオのパーソナリティに言われた言葉がきっかけで、寺生まれである出自を見つめ直したヒナタカコさん。出家のための得度や、自らの体調不良、そして大切な人の大病などの経験を通じて、愛に生きる時間を大切にすることを選んだヒナさんの音楽活動のベクトルは徐々に変わっていきました。

5

10月24日公開

そして、これからも。

「歌わなきゃ」…福井に帰郷してから、いつの間にか歌うこと自体の楽しさを忘れていたヒナさん。自らに課した重圧から離れて、自分の本当にやりたいことは何かを考えることで、少しづつ自信を取り戻していきました。

6

11月21日公開

アルバムライナーノーツ

東京でのプロデビュー、そして自身で立ち上げたレーベル運営と音楽活動を経て、故郷の福井に戻るまでの道のりを振り返ったヒナタカコさんが、今だからこそ語れるエピソードの数々で自作を紹介!KAMAKULANIに綴られた制作秘話と、ヒナさんの音楽と一緒にお楽しみください。