Hina Takako

シンガーソングライター

日本海にほど近い、自然豊かな土地の寺に生まれ、広々とした川縁や本堂でも歌い込み、歌の世界へと惹かれていった。独特で力強い歌声、シンプルながら情景的な歌詞は世代を越えて響き、寺院コンサートや伝統文化との共演など独自の活動を展開。唱歌をアレンジし歌い継ぐ活動、合唱曲の提供なども手掛けている。

連載中しあわせの花を探して

nuri candle exhibition 月と一角獣

4変わるもの、変えられないもの

「積み重ねられた経験で人は作られる」
20代のころは、自信のない自分に、一生懸命何かを上書きしていくことに必死だった。でも、そこに揺らぎが生じた時、隠していた土台が露わになる。生まれ育った環境に、知らないうちに培われてきた自分自身。それを受け入れられるようになるまで、私には多くの出会いが必要だった。

私そのものを知ること

写真:川島一郎

デビュー後しばらくは、私が寺生まれであることをプロフィールのどこにも記載していなかった。公表することで勝手に持たれてしまうイメージを避けたかったから。
ある日、ゲスト出演したラジオのパーソナリティにそのことを話すと、ベテランのパーソナリティに、
「生まれはな、君そのものなんや」
と言われた。その一言は鋭く、心の奥をチクリと刺した。そして数年後、その棘が抜けたのは、私が得度をした時だった。

得度というのは、簡単に言えば「僧侶になるための出家の儀式」なのだが、実のところは、もう少し東京にいられるように、実家の両親を安心させるため、という軽い気持ちがきっかけだった。

でも、その研修で私は初めての感覚に出会った。お経を読んでいたら、みんなで合唱や音楽を奏でているような感覚になったのだ。重たく感じていた言葉の羅列が、ふわりと風に流れるような、心地よく微笑んでしまうよう瞬間だった。「もしかしたら、これは何百年も心の支えにされてきた『歌』なのかもしれない…」そう感じた瞬間、お経への感覚だけじゃなく、私の中で寺や宗教というものに持っていたイメージが変わっていった。

必死に上書きして、蓋をしていた土台。思い切ってその自分に向き合ったとき、あの日のパーソナリティの言葉がすっと心に落ちていった。寺に生まれ、その私が音楽を始め、歌詩を書くこと。何かが一本の道でつながっているような気がした。そして得度後は、不思議とお寺ライブの縁が広がり、今ではずっと続けていきたい活動のひとつになっている。

重なる経験、変わる価値観

とある学校交流で、休校になる山間の小学校で子どもたちと一緒に曲を作った。無くなってしまう学校の音楽室で一緒にレコーディングをして、CDにして贈った。「みんなが離れ離れになっても、この曲があるから、頑張れる」当時4年生だった女の子がくれた言葉に、胸がいっぱいになった。涙をこらえながら歌ってくれたみんなの姿を、私は一生忘れない。

撮影:出地瑠以

それまでは、みんなが知っている有名人になりたい。テレビで見てきたスターみたいに華々しくいたい。そんな憧れを抱いていたかもしれない。でも、感動の経験を重ねるごとに、誰かの一生の思い出に刻まれる関わりができることと、スターになることと、私の中ではもう同じ価値あるものになっていた。

学校交流、海外での友好イベント、伝統文化との融合共演、唱歌を歌うラジオDJ、お寺ライブ、合唱やテーマソング曲制作…と、たくさんの人たちと出会いながら幅広い経験させてもらい、唯一無二の感動を重ねていくほどに、武道館や紅白という、誰もが抱くわかりやすい目標は、いつの間にかどこかにフェードアウトしていた。そして、自分が続けたい音楽、伝えたいことが少しずつ解ってきた中で、違うベクトルを抱きつつ東京で生活していることに、どこか違和感を覚えるようになっていた。

与えられた転機

撮影:川島一郎

20代の終わり頃から数年、体調不良が続いた。咳が止まらずに歌えない。病院に通っても治らない。でも本番は来るので、効きもしないが強い薬を飲んで、気持ちで乗り切る。そんな日々が続いた。自己管理は当たり前だけれど、試すものすべて、全くダメで、そうして迎えるライブはいつしか苦痛でしかなくなっていた。思い通りにならない自分の体。それでもやってくる日々。関わるスタッフも増えていく中、そんな体調で歌うことが申し訳なく、次第に歌うこと自体怖くなっていた。

そして、プライベートで訪れた転機。
精神的にも支えてくれていた恋人の病気。癌だった。

それまでは、音楽の中で、自分がどんな人生を歩みたいのかばかりを考えていた。でも、愛する人がいなくなってしまうかもしれないという、息が止まるような瞬間を味わい、初めて自分はどんな人生を歩みたいのか、誰と、どこで生き、どんな風に音楽を続けていきたいのかを考えさせられることになった。

愛を選ぶことが、逃げになることが嫌だった。でも、生命に勝る夢などないし、愛を持って生きなければ、愛を語ることなんてできない。一度きりの人生の中で、自分の心に素直に、たっぷり愛に生きる時間があってもいいじゃないか。私の好きな女流作家たちやミュージシャンもそう生きていた。きっとその中で生まれていく歌がある。そう信じて、私は福井へ帰ることを決めた。

撮影:川島一郎

帰郷という決断は、上書きしてきたものを自分で崩すような覚悟だった。でも、露呈したその土台を信じていれば、何度でも積み上げていくことが出来る。私から出る言葉や歌は、私そのものなのだから。

私から生まれた歌を愛してくれる人たちのおかげで、私は否定していた私自身を受け入れ、自分を、人を愛せる力をくれた。

そして、私は福井に帰った。もちろん、一抹の悔しさや寂しさを噛みしめながら。

PICK UP SONG

「私であること」アルバム『AQUADREAM』より

みんな何かしら抱えて生きている。それぞれが人生の中で傷ついて、励まされて、愛を学んで…そしてまた誰かに伝えていくことが、人として一番素敵な役目ではないかと思っています。

ヒナタカコ

nuri candle exhibition 月と一角獣

連載中しあわせの花を探して

1

6月27日公開

プロローグ:三国の歌姫を訪ねて

7月から「into Art」での連載が始まるシンガーソングライターのヒナタカコさんをkAMAKULANI編集部が訪ねました。場所は福井県、日本海に臨む三国の地。自然あふれる三国の町で生まれたヒナさんは、東京での活動を経て今再び、故郷に戻りました。連載第1回はプロローグとしてキュレーターのデキがヒナさんと三国の魅力をお伝えします。

2

7月18日公開

言えなかった「ただいま」

福井に戻って3年。音楽で想いを伝えることに専念してきたシンガーソングライターのヒナタカコさんが、ふとしたきっかけでKAMAKULANIで筆を執ることになったのは、言えなかった「ただいま」を言うためなのかもしれない。これまでの音楽活動を振り返りつつ、ヒナさんの現在を、そしてこれからの音楽を知るためのメッセージ。

3

8月22日公開

上京、そして出会い

東京で音楽活動を始めたヒナタカコさん。初めてのライブは観客2人。レコード会社との契約がないまま手探りで活動する中、後にスタッフとしてヒナさんの活動を支えることになる同郷の音楽関係者と出会う。「今はまだ帰れない」その言葉を噛み締めながら、自ら立ち上げたレーベルからプロとしての活動が始まりました。

4

9月19日公開

変わるもの、変えられないもの

「生まれはな、君そのものなんや」。ラジオのパーソナリティに言われた言葉がきっかけで、寺生まれである出自を見つめ直したヒナタカコさん。出家のための得度や、自らの体調不良、そして大切な人の大病などの経験を通じて、愛に生きる時間を大切にすることを選んだヒナさんの音楽活動のベクトルは徐々に変わっていきました。

5

10月24日公開

そして、これからも。

「歌わなきゃ」…福井に帰郷してから、いつの間にか歌うこと自体の楽しさを忘れていたヒナさん。自らに課した重圧から離れて、自分の本当にやりたいことは何かを考えることで、少しづつ自信を取り戻していきました。

6

11月21日公開予定