Hina Takako

シンガーソングライター

日本海にほど近い、自然豊かな土地の寺に生まれ、広々とした川縁や本堂でも歌い込み、歌の世界へと惹かれていった。独特で力強い歌声、シンプルながら情景的な歌詞は世代を越えて響き、寺院コンサートや伝統文化との共演など独自の活動を展開。唱歌をアレンジし歌い継ぐ活動、合唱曲の提供なども手掛けている。

連載中しあわせの花を探して

3上京、そして出会い

前回までのあらすじ

教育実習で訪れた母校の高校で、自分の曲を歌うことで生徒たちと打ち解けることができた体験は、人知れずヒナさんの中にあった「歌を歌って生きる」という夢を後押しするきっかけとなりました。プロを目指すことを決意したヒナさんは、大阪の音大を卒業すると上京することに…。

ふとしたきっかけに殻を破られた私が歩き出した。
知り合いも誰もいない東京へ行くこと、何の保証もない未来へ向かうことはとても不安だったけれど、胸の奥の小さな自信と、あの日感じた可能性が、慣れ親しんだ大阪から私を旅立たせた。

上京、そして出会い

写真:川島一郎

高校生のときに出場した大会の音楽会社の人を頼りに、東京での音楽活動を始めた。頼りにと言っても、個人的な相談ができるわけでもなく、何の約束も、契約もなかった。

上京して2ヶ月経った頃、初めてライブに出演した。渋谷の地下にある50人も入ればいっぱいの小さなライブハウスに、お客さんはたったの2人。次に出演する人のご両親という、なんとも印象に残る東京初ライブだった。

バイトに追われながら細々と歌う日々。自主制作でCDを制作したり、少しずつお客さんが増えるも、音楽会社からは特に良い知らせもなく2年ほどが過ぎた。
小さな箱の中から空を見上げ、まるで、何かの奇跡を待っているかのような、先の見えない毎日。どうしたら突破口が見つかるのかもわからず、あのキラキラした可能性を感じた日は遠く、いつの間にかすっかり弱気になっていた。

そんなある日、出演したライブハウスで懐かしい福井弁が聞こえた。
CDを買ってくれたその人は、音楽関係の会社をしている福井出身の人だった。後に連絡をくれ、同郷という安心感と真っ直ぐな人柄に、この人ならば言えるかもしれない…と、不安な状況を打ち明けた。ここまで真剣に向き合ってくれる大人がいるのかと驚くほど、何時間も語り合う日々が続き、ヒナタカコのマネージャーやスタッフとして活動協力をしてくれることになった。私は思いを言葉にすることがとても苦手だが、その性格も解ってくれていたのだろう。この人に出会えていなかったら、もっと早く福井へ帰って来ていたかもしれない。私以上にヒナタカコを信じてくれた人に出会え、私は再び歩き出すことができた。

故郷という場所

写真:出地瑠以

同郷のスタッフとの出会いもあり、福井での音楽活動も積極的に行うようになっていった。「いつかは福井に帰りたい」という思いもあったし、同郷ということで応援してくれる力は本当に有難いものだった。気がつけば「故郷」という言葉も自然に口にするようになっていった。

10代のときに、「何もない」と言い放ち出て行った場所。でも、離れていくほどに、その全てが恋しくなっていた。海、山、田んぼを吹き抜ける風、鳥の声…。都会の生活に染まり流行を追いかけても、生まれ育った風土から得た感性は変えることができない。むしろそれそのものが本来の私が持つ個性なのかもしれないと、少しずつ自分を認め始めるようになった。

帰るたびにいつも地元の海で心をリセットし東京に戻って行った。1stアルバムに収録した「こころの海」という曲は、その時の状況をそのまま歌にしている。「今はまだ帰れない」。この言葉をいつも噛み締めて歌っていた。

ヒナタカコ 1st ミニ・アルバム『潤-jun-』収録「こころの海」をiTunes Storeで聴く

新たな一歩

写真:川島一郎

上京して2年目、24歳のときに1stアルバムをリリース。
どこかの会社がデビューさせてくれるのを待つのではなく、自分がレーベルの代表になり、全国デビューすることを選んだ。流通会社等と契約して、PVを撮ったり、全国にプロモーション活動に行ったりリリースライブを行ったり、「プロがやっていること」ができるようになってとても嬉しかった。

でもその裏では、どこの事務所にも所属していない自分のレーベルだったため、細かい事務作業もすべて自分の仕事。知らないことばかりで、大事なこともたくさん抜け落ち、スタッフはもとよりいろんな人に助けられた。がむしゃらに「プロのカタチ」を目指す中で、プロの周りではこんなにも多くの仕事があったのだと知った。今では、全部有り難い経験にだったと思えるけれど、当時の私は何度も泣きながら、人を怒らせ、怒られ、驚きと失敗の中を、夢中で駆け抜けていった。

写真:川島一郎

そして、いろんな活動を通して関わる人たちも増え、いつの間にか自分のものだけじゃない感動に出会っていった。その中で、私の価値観も少しずつ変化していく。

PICK UP SONG

「街」ヒナタカコ 1st ミニ・アルバム『潤-jun-』より

デビューアルバムのリード曲、「街」。この曲は高校3年生のとき、東京で見た夕暮れの雑踏を見て書いた曲でした。昔書いた曲が、今の状況とリンクして、また新しい感覚で歌える、ということはよく起こります。そんな音楽の変わらない新鮮さと感動を覚え収録した曲です。

ヒナタカコ

連載中しあわせの花を探して

1

6月27日公開

プロローグ:三国の歌姫を訪ねて

7月から「into Art」での連載が始まるシンガーソングライターのヒナタカコさんをkAMAKULANI編集部が訪ねました。場所は福井県、日本海に臨む三国の地。自然あふれる三国の町で生まれたヒナさんは、東京での活動を経て今再び、故郷に戻りました。連載第1回はプロローグとしてキュレーターのデキがヒナさんと三国の魅力をお伝えします。

2

7月18日公開

言えなかった「ただいま」

福井に戻って3年。音楽で想いを伝えることに専念してきたシンガーソングライターのヒナタカコさんが、ふとしたきっかけでKAMAKULANIで筆を執ることになったのは、言えなかった「ただいま」を言うためなのかもしれない。これまでの音楽活動を振り返りつつ、ヒナさんの現在を、そしてこれからの音楽を知るためのメッセージ。

3

8月22日公開

上京、そして出会い

東京で音楽活動を始めたヒナタカコさん。初めてのライブは観客2人。レコード会社との契約がないまま手探りで活動する中、後にスタッフとしてヒナさんの活動を支えることになる同郷の音楽関係者と出会う。「今はまだ帰れない」その言葉を噛み締めながら、自ら立ち上げたレーベルからプロとしての活動が始まりました。

4

9月19日公開

変わるもの、変えられないもの

「生まれはな、君そのものなんや」。ラジオのパーソナリティに言われた言葉がきっかけで、寺生まれである出自を見つめ直したヒナタカコさん。出家のための得度や、自らの体調不良、そして大切な人の大病などの経験を通じて、愛に生きる時間を大切にすることを選んだヒナさんの音楽活動のベクトルは徐々に変わっていきました。